漬物・茨城県産・国産漬物・梅干し、たくわん、奈良漬け、浅漬けの茨城県漬物工業協同組合
茨城の食文化、しいては郷土の食の発展と歴史を振り返ってみると、その発展は水戸藩主であった徳川斉昭公の影響が大きかったようです。徳川斉昭は、食文化についていろいろな記録や研究をかさねており、日々食べたものを記録していたり、おいしい調理法の記録を手記で残していたりします。
そんな中、特に漬物についての記録が多く、漬物の作り方(つけ方)についての冊子ものこっています(景山公漬物百珍)。ここには、漬物の材料となる野菜の種類や塩などの漬け込み材料の配合分量などまでが、漬物の種類ごとに事細かに表記され、斉昭公が食に対してかなり研究をかさねていたことを伺い知ることができます。
私たちの耳にも馴染み深い「梅干」や「浅漬」、「納豆」などについてはもちろんのこと、さまざまな素材を自由に組み合わせて漬け込む「あちゃら漬」などといった興味深い漬物などの漬け込み方法も書かれ、膨大な量のいわゆるレシピとなっています。
こうして茨城では、昔からさまざまな漬物文化が発展していったのですね。
日本三大庭園のひとつである、水戸の偕楽園。こちらは時の水戸藩主・徳川斉昭公によって設立された広大な数千本の梅林を持つ公園です。でも斉昭公はなぜ、こんなにもたくさんの梅の木を植樹したのでしょうか。
実は、斉昭公が「梅」を選んだのには、ちゃんとした理由があります。それは「種梅記(しゅばいき)」の中に記述がのこされているのです。この記述の中で、斉昭公は「梅」について以下のような意味のことを述べています。
まず春先に咲く梅の花は、雪を溶かし春を告げる花として多くの人々の心をなごます存在であるということ。
そして梅の実には、酸が含まれていることから、この実を食すことで人々の喉の渇きと疲れを癒し、潤してくれる存在であり、これは軍事用の食料としても最適だったということ(梅干は保存もきき、防腐効果、殺菌効果もあるため)。
こういった面から、梅の備えがあれば、まさに憂いなしと、そのように考えた末の『梅』だったのですね。
梅は保存にも良いし、実は疲れを癒す、しかも花も咲く。つまり『梅』でなければいけなかったというわけです。
偕楽園ができた後は、水戸を中心に梅干の文化が茨城には広がっていったことはいうまでもありません。
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